同窓会

六月の半ばに同窓会がありました。
大学を卒業してから早x十年。歳をとりました。卒業してずいぶん経ちもう話も合わないこともあるし、どうしようかなぁと思っていましたが、行きました。
高校や、中学校の同級生ではなく、大学の部活の同窓会でしたから、仲間はずれになることもないだろうとそれでも少しだけ危惧しながら行ったのですが、それは全くの杞憂に終わりました。同級生、先輩、後輩と相変わらず楽しく仲良く過ごせれたのはやはり、音楽という共通点があったからでしょう。
それにしても、お酒には弱くなりました。ビールを3杯飲んだだけで後、頭が痛くなったのは歳をとったからなんでしょうね。
しかし、初老近くなると人生の荒波を感じます。
厳しい時を歩いている同級生もおり、今の時代の厳しさを痛感しています。
きっと昔の人は定年までラストスパートだという頃は結構地位もあり、お金もありでそう心配ない感じに見えましたが、今は給料アップどころか、パワハラで失職に追い込まれるとかザラみたいで、年金とか言う前に今の生活がどうなるんだ❓なんて感じてしまいました。
いまの自分たちがこんなんだと、現在はたかを食っている中年以前の人たちも四十後半からパワハラやなんやかやですごい目にあうひとが多いのでは❓と推測しています。
そういえば、大学生とバイトで話をしたのですが、就職活動では40代五十代の人が多くいるかどうかを重要視すると言ってました。賢いですね。若い時だけの使い捨てが多い時代ですが、歳をとったからということで、パワハラで辞職に追い込まれたら、本当に厳しい人生となります。いまの世代は年金ももらえるのが遅い上、本当にもらえるのかどうかも当てになりません。
が、悲観的になるのもしょうがないので、なんとかんなるさと生きているしかないですね。

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# by kumatoguanaco | 2018-07-15 10:46 | 身辺雑多2018 | Comments(0)

会員様感謝企画、スピリチュアルを楽しむ会が終了しました。参加の皆様ありがとうございました。今回は自分を知るというテーマでした。
瞑想、意図を持ったオーラ視、ものとのサイキックな交流などのスピリチュアルな練習、などに加え、普段自分では気づいていない自分の美点に気づく演習など。あっと言う間に楽しく終わりました。
みなさんが、− あっ− とか、−えっ− とかなにかをやるたびにびっくりされたりするのがおもしろく、病みつきになりそうです。

なんておもしろいんだ。

もっとおもしろがらせたい‼︎

次の企画も頭の中に複数湧き出て来ましたので、またやりたいと思っています。感謝企画としてはできませんが、こもれびやまおもしろワークとしてやりたいなぁと思っています。



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# by kumatoguanaco | 2018-07-06 09:57 | スピリチュアルの学び2018 | Comments(0)

パワーゲーム❓

世の中に出ればいろんな人とお知り合いになります。
楽しい人、悲観的な人、困っている人、暇な人、怒りやすい人、元気づけてくれる人、いろんなひと、知り合い、友人がいます。私はその中で楽しく、穏やかで、いろいろと教えてくれたり、為になる人と付き合いたいと思っている(少なくても思っていた)のですが、どうも、ちがうらしい‼︎のです。
だんなから、前に親しくしていた AさんとBさん、同じじゃない❓といわれたのです。
前にもいわれたのですが、あんまり、認めたくないためか、 うん と言いませんでしたが、このごろおもうのです。

あーほんとうだ。おんなじだ‼︎

コマッタ、助けてくれ‼︎と言ってきてできるだけのことをすると、「こうじゃない、ああでもない、」と言った挙句、ぼこっと殴られるような言葉をかけられます。
最初は相手がそういう人だろうとなんとか過ごしていましたが、そろそろ私も学習しないといけないとならんと思い始めました。どうも自分には、自分がいろいろとやってやらないといけないんだという思い込みがあるのではと思います。それがまずいのです。
助けてとか、相談に乗って などと実際に言われても、ある程度の線引きは必要です。

他人と自分は同じではないのです。

それに助けて、とか相談に乗ってとか、の言葉は本当ではないことが多くあります。言葉は出しても本当は違うことがあります。実は愚痴を言ってスッキリしたいだけで、答えは決まっているのです。なので、ああだこうだと言っても有益どころか、相手にとってはウザいことになり、怒りが湧いてきて怒鳴ったりということになったりするのでしょう!もぅ…踏んだり蹴ったりです。が、もういい加減こんなことはおしまいにします。いつも不満がある人が、かわいそうな状況を言ってきて、→助けてとか言ってきた場合、相談にも乗らないのです。いままでやったことはないですが、やってみることにします。

しかし、問題なのは、私はこの一連の人間関係でパワーゲームというか、コントロールゲームにはまっているような気がするのです。

相手は、助けてと言葉では言うけれど。心の中では言いたくない。思いたくない。で、必要な情報を入れると相手に蹴りやパンチを食らわせ、自分が負けたような気から脱却して上位にたつ。もともと勝気な人が屈折した環境、状態にいるのかもしれません。が、問題なのはそういう人と人、時期を替えて同じシチュエーションを繰り返している私です。相手にいろいろと奉仕し、自分のことを認めてもらいたいとおもっているのか❓それとも、アドバイスをいうことで、相手の上に立とうとしているのか❓書きながら、上に立ちたいとはおもってないとは感じます。あんまり他人を動かしたいとかないですからねぇ。

人の役に立たねばならない。 なんとなくそれは体の奥深く組み込まれている気がします。他人の役に立つ、すばらしいですが、なんか変かもしれません。人はじぶんでなんとかできる限りやれるのでは❓私はもしかして、できるのにやれない人を手伝おうとしたのかもしれません。自分でできることはじぶんでする。口で助けてと言っても本気でない人は他人がどうこうすること自体できません。

こんなことを繰り返し、以前は腹が立ったりもしましたが、今は腹はさほどたちませんが、疲れるのです。この状態はいけません。

ただ、楽しくすごすひととのみつきあう。それが、下手なパワーにはまり、不快な思いをすることからの良き脱出方法かもしれません。今回は自分の行動、考え方をよく考える良い機会です。



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# by kumatoguanaco | 2018-06-26 11:42 | 心理学 | Comments(0)

もう六月も終盤です

仕事と試験でずっと忙しく、落ち着かない日々でしたが、ちょっと空きが出たので二週間くらいは試験のことを考えずにゆったり過ごせます。
しかし、高校、大学、その後のまだ若い頃には想像もできなかった現在の日々です。できの悪い自分が、若い人でもなかなか難しい試験に挑むとは‼︎人生わからないものです。
この頃思うのは、人は小さい時に無意識に自分をある型に嵌めているのでは❓ということです。スキームをはずせとか、思い込みを取ろうとか、心理学でも言っているのですが、これが、なかなか思うようにいかないのです。
自分はこういう思い込みがあると頭で思っていても、心から納得していないというか、信じていないのです。自分はこうこうだから絶対に無理。なんて思っていて、それが頑固で揺るぎないのです。心理学でおもいこみだから、それは違う。といっても、自分がそこから脱却したくても、なかなかできない。変われないのです。

私も勉学についてはそうでした。いくらやっても、やらなくても、自分には無理。そんなことを小さい時から思っていたような気がします。
しかし、事情が変わったのです。やわねばなんともならない。そんな事情があることもあり、とにかくあきらめないことを思いつつ、やり始めたところ、絶対に無理だと思っていたことが少しずつでき始めているのです。
これはすごいことです。歳をとってもやれるだけやる。こんなことがあるんだと、苦しい歩みながらも驚き楽しみつつ、歩んでいます。

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# by kumatoguanaco | 2018-06-24 16:21 | Comments(0)

ひまわり

たまたま、昔の名作映画、ひまわりをネットでやっていたので見ました。
本当は、試験前で勉強しなくてはいけないのに、だらだらと見てしまいました。
ひまわり…戦争で引き裂かれた夫婦の話ですが、子供の頃見て感動して、それからテレビで何回か放映された時も絶対に見逃さず何度も見てましたが、あいかわらず、悲しく、辛い映画です。
ひまわり畑の果てしなさが余計に哀しさを感じさせてくれます。
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昔は何ともならない運命に悲哀と悲しいゆえの美しさを感じていましたが、ふと、我が身にこんなことが起こったらと考えたら、考えるだけでも恐ろしいし、それでも無理に想像しても、辛すぎます。
きっとだんなの命が助かっただけでもありがたいと思い込むようにするでしょうが、それは本当の心ではなく、うそです。きっとひまわりのジョバンナのように絶望と悲しみとやりきれなさでのたうちまわりつつ、苦しさの中で諦めていくということをするだけのような気がします。
しかし、昔はイタリア語、ボンジョルノぐらいしかわかりませんでしたが、今この映画を観ると所々聞いてわかります。ほかのラテン系の言葉を知っているからでしょう。
そして、ラテン系は少しわかるとしても、ロシア語のセリフもあっ‼︎とわかることがあったのはいくらテキトーでも第二外国語でロシア語をやらされたからでしょう。ものすごく不得意だったのに、簡単なロシア語がすぐわかったのは、少しでも、無理やりでもやったことがあるからです。少しでも勉強しているということはやっぱりちがいますね。

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# by kumatoguanaco | 2018-06-18 11:02 | Comments(0)